小牧山城天下とり隊小牧山城をPRする7名のキャラクター「小牧山城天下とり隊」
この度、ご縁があり
愛知県小牧市にある「小牧山城」に縁が深い
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などをモチーフにした
新キャラクター「小牧山城天下とり隊」のデザインしました。
小牧山城の魅力をPRするキャラクターです。
どうぞ宜しくお願い致します。
小牧市観光協会「小牧山城天下とり隊」の紹介ページはこちら
活動の第1弾として
公式グッズが12月3日より発売されました。
発売場所、時間などはこちらをご確認ください。
小牧山城とは
信長は、仇敵であった今川義元を永禄3年(1560)に桶狭間の戦いで破った後、美濃を攻める拠点として選んだのが広大な濃尾平野の中に位置する小高い小牧山で、そこに城と城下町を築きます。
清洲より移転した信長は小牧山城を本拠地として美濃への侵攻と調略を繰り返し、永禄10年8月15日(1567年9月17日)、美濃斎藤氏の本拠地であった稲葉山城(岐阜城)は落城。
信長は稲葉山城に拠点を移し城下町の機能を全て移転させたため、小牧山城は約4年間で廃城となりました。
次に小牧山城が歴史の舞台となったのは、信長の死後、羽柴秀吉と徳川家康が信長の跡目争いとして戦った「小牧・長久手の戦い」。
家康がいち早く小牧山に目を付け本陣を置き、信長の築いた城跡の土塁、空堀などに大規模な改修が施され、山全体が「城」とみなせるほどの強固な陣地を築いた。
秀吉の大軍も容易に手が出せず、最終的には和睦となリます。
その後、一般の入山は禁止され明治維新後も尾張徳川家の所有地でしたが、昭和2年(1927年)に、時の当主徳川義親によって国に寄付されました。同年、国の史跡に指定され、現在でも山中の各所に石垣、土塁、空堀、井戸跡、曲輪、虎口や若干の石垣などが残り、往時を偲ぶことができます。